内面を見つめる −依存症家族の内省–

その他

※今回はあえて占いの視点や考察は入れていません。(いつか、占いの観点からみた依存と現実での事象についての考察記事は書こうと思っています)

昔話をしてきました

先日、近隣の心の健康センターで依存症の体験談をお話しする機会をいただきました。

私は自身のウェブサイトやSNSでも依存はテーマの一つと書いているのですが、それは依存症者の家族であるからです。依存症者の家族のための自助グループに普段参加しています。(当事者には当事者の自助グループがあります)もちろん、家族側は当事者ではないのですが、当事者と同じプログラムを使って自身の回復に取り組むのです。依存症を知らない方や発覚したばかりの方からすると、家族側は問題ない、病気ではないのでは?と思われるかもしれません。

「依存症」とは

依存症は、日々の生活や健康、大切な人間関係や仕事などに悪影響を及ぼしているにも関わらず、特定の物質や行動をやめたくてもやめられない(コントロールできない)状態となってしまいます。依存症にはアルコールやニコチン、薬物などに関連する物質依存症とギャンブル等の行動や習慣に関連する行動嗜癖があります。これらは、特定の物質や行動を続けることにより脳に変化が起きることにより症状が引き起こされる病気で、本人のこころの弱さのために起きている現象ではありません。(引用:こころの情報サイト こころの病気を知るー依存症

とにかく、家族側も自分自身を見つめる内省のプログラムを行うわけなんですね。このプログラムが本当によくできていて、まあ約90年も自助グループの中で培われてきた有効なものなのですが、私も大いに助けられました。いえ、今も助けてもらっています。

私は依存症者と向き合ってもう16年になるのですが、ここ3年くらいはとても穏やかに日々を過ごせています。16年前の私に今の現状を伝えてもとても信じないと思います。それくらい精神的にも大変なことが多い日々でした。先日のスピーチは、16年を振り返っての昔話と今の体感をお話ししました。大した昔話ではないのですが、その内容を少し加筆し、ピンポイントに抽出してこちらに掲載します。

もうこのやり方では進むことができない

依存症は、常識が通用しない病気です。側にいる者としては、嘘を突かれたり、隠されたり、裏切られたりすることが多く、身体的、金銭的にも問題が多発します。
たくさんの嘘や辛いことがあったので、家族などは、また依存に走っているんじゃないかと疑心暗鬼になることばかりで、どんどん自分の精神が負のスパイラルに陥ります。
私はなんとか相手を説得させよう、対策を取ろうとしていましたが、ことごとくうまくいきませんでした。
依存症者と向き合うときに大切な、まずは常識を当てはめないで接する、が中々一人ではできないのです。


紆余曲折あって自助グループに繋がり、少しした頃、まずは怒りをテーマとし、怒りについて自分なりに向き合うことにしました。誰に言われたわけでもなく、ミーティングに出るうちにやってみようと思ったのです。怒って相手をコントロールする、誰かに口出しをして解決しようとする、正論を通そうとする自分の性質が浮き彫りになってきたからです。このままのやり方では進めない気がしたのです。

何をやるにしても、結局は自分の都合で、自分の報われたい思いがついて回ります。今思えば、相手の依存で起きた問題も、怒ってどうにかしようとしてきました。世間一般から見れば私の言っていることは正論でしたし、怒ることは当然の権利とさえ思っていました。誰かの世話をする、手を出すのは誰かのためで良いこととさえ思っていたのです。仕事においても上司に対しての何くそ、という怒りの気持ちを糧にしたりと、怒りが身近に自分の中にありました。

ちなみにこの時の怒りを書き溜めたメモをわざと残してあるのですが、よくもまあこんな精神状態で過ごしていたなと思うくらい、恨み言のオンパレードです。今見返すと、とても戻りたくありません。

あとからわかったことですが、私の怒りや正論の底にあるものは自分自身の深い『恐れ』でした。役に立たないと認めてもらえない、こんなことをしていては必要とされない、という子供の頃からの大きな恐れを、怒りや問題に手を出すことで上手に包み込んでラッピングしていたのです。もっというと、それくらい生きづらい中で、なんとか自分なりに編み出して対処してきたのが怒りや相手をコントロールするやり方でした。

しかし自助グループにつながって、怒りの力を使ってきたツケを精算するタイミングがやってきました。(※怒りの感情そのものが悪いのではありません。私の場合、慢性的にアテにして乱用していたことが問題ですね。)

ミーティングに出続けて、仲間の話を取り入れながら、自分の考え方や捉え方、やり方がおかしかったことを少しずつ受けて入れてきました。仲間の話を聞いているうちに気づきが多く、自分にも当てはめて考えることがどんどん増えていきました。怒りで何を得ているか?怒りで何を失っているか?怒っているその奥に何があるのか?恨み、執着、悲しみ…そんなことを考え、仲間に聞いてもらいながら1年半自分のテーマにしていました。(ちなみに自助グループは、誰かにアドバイスはしません。仲間の提案はありますが、指示や命令、支配することは禁止されています。私も仲間にああしなさいこうしなさいと言われたことは一度もなく、自分の望みでテーマに取り組みました。)

しばらくすると離脱症状というのでしょうか、今まで当たり前に使ってきた怒りが、使えなくなり無気力になりました。我慢したわけでも、抑えたわけでもなく自然に出なくなったのです。(活力を怒りで補給していたのですが、それがなくなったので、気力の取り入れ方が分からなかったのでしょうね。2ヶ月続きました)

やっと相手の問題ではなく自分の内面と向き合うチャンスを与えてもらいました。向き合うことでしんどい時期もありましたが、今振り返れば回復の過程で必要なことだったのです。


それからプログラムも2年かけて取り組み、自分自身の棚卸し(振り返り)などを行いました。自分は共依存であること、幼少期の出来事がトリガーになっていること、相手が依存症者でも依存症者でなくても、生きづらいのはそもそも私の問題なのだということ。相手の問題を先取りしたり、自分の問題かのようにふるまってきたこと。

そして気づけば自助グループにつながって4年がたちました。依存症者の問題を勝手に自分ごとにし、境界線を飛び越え、ずっと様々な場面でおかしなやり方をしてきた私の旅は、一山越えたところに辿り着きました。仲間がいなかったらここまで来れなかったと思うので、グループの仲間には本当に感謝しています。そして、大切なことに気づくきっかけをくれた、家族である依存症者にも感謝しています。

自分を大事にするとは内面を見つめること

怒ることはすっかり目に見えて減りました。我慢でも抑制でもなく、そのやり方はもうできなくなったのです。ゼロではないのでたまに怒ることはありますが、怒りのテーマはひと段落し次のテーマに取り組んでいます。今でも自分の問題はありますし、内面を見つめることは欠かせません。現在、依存症者との関係は良好ですが、自分の人生の生きづらさに対処するための内省なので、そもそも相手の状態とは関係がないのです。(よく誤解されますが、依存症者をなんとかさせるため、変えるために家族の自助グループは存在するのではありません。これは内省も同じですね。誰かを変えるために内省をするわけではない。)

目に見えて依存関連の問題がなくなっても、人生には何かしら問題が発生します。そして自分の欠点もちょくちょく顔を覗かせます。そのため自分自身を見つめる作業はずっと続けるのですが、今の時点で随分生きづらさは楽になったという実感があります。

私の場合は自助グループでしたが、自分の内面を見つめる作業には様々な方法があると思います。トラウマ治療や、内観療法、カウンセリングなど。

ちなみに占いはその可能性の一つでもあると思います。医療行為ではありませんが、きっかけとしての入り口くらいにはなりえると思っています。一見しんどい内面を見つめるという作業ですが、自分を大事にするとは本来こういうことかな、と最近はよく思っています。それができる状態やタイミングは人によって違いますけどね。

私はよく占いで、人生のヒントを見てみませんかと言っているのですが、問題に向きあうとっかかりに占いは向いていると思っているからです。向き合うためのツールそのものというよりは、あくまでたくさんあるツールの中の一つ、また、入り口まで案内してくれるガイドのような、ちょっとしたきっかけにもなると思って占いをしているところがあります。しかしあくまで向き合いたいと思って始めるのは本人なので、誘導も強制もしません。そしてそれは占いでなくてもいいとさえ思っています。私は占いが好きなので占いをやりますが。

私の場合、恐れの反応として出るのは怒りが顕著でしたが、(他にも断りにくい、とかもある)人によっては怒ることができない、意見が言えないとか、〇〇すべき、こうあるべきと自分に設定をかけている、自分の意見を認めてほしくて衝突する、不安を物や人で置き換えちゃうなど…….その『ついやってしまういつものやつ』の種類は様々ですよね。占いをしているからそれはとても良くわかります。きっかけはなんでもいいと思うのですが、生きづらい人生と向き合うときにここは、避けては通れない箇所だと思います。人によって向き合うタイミングがありますし、必要な時に訪れるとも思っていますが、向き合っていない時の方が、しんどいと気付かないまま疲弊している事が多いものです。取り組むかどうかは別にして少しのきっかけや、寄り添うなぐさめはあってもいいかなと考えています。

何が言いたいかというと、内面を見つめる…内省をすることの大切さというか、自分を掘り下げることで得られるものが本当にたくさんあったということが言いたかったのでした。今回、たくさんの方に話を聞いていただく機会のおかげで、改めて深くそう感じました。


私の良くないところや、数々の失敗、ここまでの過程の話を聞いてもらうことが、私の回復、内省の一助になっています。それもあって今回記事にもしてみましたが、ちょっとディープな?話になってしまいました。^^;

何の参考になるかわかりませんが、私の話で何か持ち帰るものがあったなら幸いです。

現在、依存症関連でお悩みの方や、身近にそういう人がおられる方は、ぜひお近くの心の健康センターをお尋ねください。最近は依存症に積極的に取り組んでいる自治体も増えてきています。また、依存症は占いでどうにかなる訳ではありませんが、占いも含め様々な依存のお話はできるので、話を聞いてほしい、聞いてみたいという観点でもお気軽に鑑定にいらしてくださいね。